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zoom RSS 「磨(と)いで出てくるのは塗り重ねたものだけや。一生懸命生きていれば、なりたいものが出てくる…」

<<   作成日時 : 2008/02/16 23:14   >>

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「磨(と)いで出てくるのは塗り重ねたものだけや。一生懸命生きていれば、なりたいものが出てくる…」
 なんていい言葉なんでしょうか。「ちりとてちん」の中の台詞です。今日土曜日なんとか一週間分を見ようと頑張ってみましたが、やはり途中、所用で見られなくなりました。この一週間は、「地獄八景亡者の戯れ」を軸に番組が進んでいたようでした。この落語は「地獄のそうべえ」として絵本になっていて僕はよく子どもたちに以前から読み聞かせをしていました。(この本と「はらぺこあおむし」はぼくのお気に入りです。)
絵本は知っていたのだけど、落語を知らなかったので、桂文珍・桂米朝の、「地獄八景亡者の戯れ」を取り寄せてI Podで聞いています。

 今日で草若師匠が亡くなりました。朝・昼・夜と3回も見て同じところでぼくは感動してしまいました。このドラマに出ている出演者のそれぞれの命のつながりをこのドラマから感じます。師匠が亡くなってもその思いを弟子が受け止め、師匠が弟子の心の中に生き、次の時代を弟子と共に生きていくように思うのです。
 このドラマには、今私たちのまわりから失われていった親子関係や人間関係がいっぱいあるように思うのです。
 それに、このドラマには、先日見た「母べえ」のように泣いたり笑ったり、つらい思いを抱えながらも、一生懸命生きる人間が描かれているからだと思うのです。

子どもが母親に抱きついて泣く、母親もつらいときは、子どもに抱きついています。ああいう親子関係が失われたのは、日本の構造的な問題だと思います。だって、小学校に入る頃から、将来、どんな大学へ入れるかと悩むわけでしょう。残酷ですよ、子どもにとっては。のびのびと育つ環境じゃない。小学生時代から、お尻を叩いて、友だちと成績の競争させるわけですからね。
山田洋次監督「母べえ」から

 もし、「余命はあと一年半」と医者に告げられたらどうするだろう。東京都江戸川区の渡部成俊(しげとし)さんは地元の小中学校を中心に七十九回の講演を行い、「生きてるってすごいことなんだ」と訴え、先月、力尽きた。六十二歳だった▼八畳と四畳半の部屋を借り、婦人服加工の会社を起こしたのは二十六歳の時。がむしゃらに働き、自前の工場を持つなど会社を大きくした。三人の息子も成長したので、これからは妻と旅行でも楽しむかと思っていたら、転移性肺がんだと分かった。二〇〇五年五月のことだ▼つらくて仕事が手に付かず、夜も寝られない。死にたいと思ったこともあった。だが、家族や友人のつらい思いも知り、くよくよしていてはいけないと思うようになる▼そんな折、各地の小中学校が「生と死を考える授業」を行っているとの記事を読み、自分の出番だと確信した。講演ではマイクを使わず、立ったままを通した。死に対し、精いっぱい立ち向かっている姿を見せたかったという。昨年夏に著した『そんな軽い命なら私にください』に、心の軌跡が詳しくつづられている▼最終ページには、<命があることは、ありがたいことです。人は命尽きるその日まで、人生はどうなるかわからないのです。だから途中であきらめないことです>とある。告げられた余命より一年以上長く生きて、実践したのだろう▼講演への感想文は二万通以上になる。「人はつながって生きている」「自分一人の命じゃないと思った」。子どもたちに、渡部さんの思いは伝わっている。
東京新聞 筆洗2008年2月11日



 じごくのそうべえ―桂米朝・上方落語・地獄八景より (童心社の絵本)
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