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<<   作成日時 : 2012/01/03 00:57   >>

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いくつかの新聞の社説・コラムを読み一番共感できたのが、北海道新聞・河北新報の社説でした。
ニッポンつくり直し(1) 未来に責任を持つ社会に 大震災があぶり出したもろさ/「足元」を大事にする発想こそ(1月1日)
災害は、まだ続いている。
 33万を超す人たちが、今もなお避難・転居生活を強いられている。炉心溶融が起きた東京電力福島第1原発の廃炉完了には、30〜40年の歳月がかかるという。
 私たちはこの先、何世代にもわたって、東日本大震災と向き合ってゆかねばならない。
 震災は、学問的権威をも崩し、政治の劣化ぶりをむき出しにした。社会のありようを問い直す動きが加速している。大地震、大津波の歴史を繰り返す列島に54基もの原発をなぜ造ったのか、今後も原発を維持するのか―は、ひとつの代表例だろう。
 身を置いているのは、危うく、もろい社会でしかないようだ。雇用、年金、医療・介護、産業のいずれもがきしみ、亀裂が走っている。生活の安全・安心、個人としての尊厳、自由が損なわれてはいないか。
 検証と反省の中から、この国のつくり直しを急ぎたい。
                              *
 復興日本は、子や孫たちが未来に夢と希望を持って生きられる国にと誰もが願う。その実現には、まず、将来世代に大きな負の遺産をこれ以上増やさないと、しっかり心に刻む必要がある。
 作家の宮内勝典さんは、「未来の目」を意識しよう、と昨年12月に本紙掲載の論文で呼び掛けた。
 現代の人間から見れば、太平洋戦争に突入した70年前の日本は<判断を誤ったとしか思えない>と評したうえで、<原発はそれに似ている>と選択の誤りを指摘する。
 原発被害は、地理的な広がりばかりか、時間的にも限界が見えない。これから生まれてくる未来の子供たちにも、重荷を担わせてしまった責任はあまりに大きい。
 「原発の教訓」を忘れてはならない。国民が監視を怠ると、関係する組織や人がなれ合って、無責任体制をつくってしまう。「お任せ」は高い代償を払わされる。
 エネルギーも食料も過剰に消費する異常な生活スタイルを改めることから一歩を踏み出したい。心すべきは、本当に必要な物を必要なだけ手にする身の丈に合った暮らしだ。
 住宅に太陽光発電の設備を整えるなど自然エネルギーの開発、投資と省エネに力を注ぎ、脱原発と地球温暖化対策を同時に追求したい。
 自分たちの足元を大切にする「地産地消」の発想は、さまざまな分野で生かせる。例えば雇用。
 原発を制御できなかったように、世界はグローバル化した市場経済に翻弄(ほんろう)されているかのようだ。日本経済は、輸出産業頼みでいつまで持つのかとの不安が広がっている。
 企業はコスト競争に追われ、安い労働力と大きな市場を求めて、いともたやすく海外に拠点を移転する。大手製造業に依存する政策では、雇用の安定は望めなくなった。
 足元の需要に根ざした仕事と雇用を増やすことこそ、安心して暮らせる社会づくりにつながる。人口減少時代を迎えた地方では、ニーズの高い医療・介護や保育の充実が、地域社会を維持する支えになるからだ。
 被災地では、行政任せにしない復興の取り組みも進んでいる。震災で自治体も機能を損なわれ、住民同士で命を支え合った。住民が未来も見据えて「まちづくり」を考えることで、共生、自治が以前よりもしっかりと根付くに違いない。
 少子高齢化の中での地域再生に挑む被災地に学ぶことは多いだろう。
                                  *
 欧州の債務危機は、借金漬けの日本にとってひとごとではない。財政の行き詰まりは、身の丈を越えた金遣いを続けた結果だ。
 一方で、貧困層が増え、生活保護の受給者は過去最多を記録している。自民党時代も含め、歴代政権の政策は誤りを重ねてきたとしか言いようがないだろう。
 野田政権は、広く国民に負担を求める増税路線をひた走ろうとする。増税すれば、社会保障制度も何もかもがうまく機能すると言いたげだ。
 民主党のマニフェスト(政権公約)は、ほご同然で、新年度の政府予算案からは、理念も目指す国家像も見えない。これでは、増税しても一時しのぎに終わり、次代に引き継ぐに値する社会の構築につながるはずがない。
 与野党を問わず政党は、持てる力を振り絞って、どのような国に再生するのか、理念と道筋を明らかにすべきだ。
 機能不全の政治へのいら立ちは、敵対者は許さない強い指導者を望む土壌になっている。民主主義に揺らぎがあってはならない。


最後の「機能不全の政治へのいら立ちは、敵対者は許さない強い指導者を望む土壌になっている。」というのは、同感です。先の大阪市長選での結果に見るように危険な方向に行くように思います。わかりやすく・短い言葉で「心地よく」「勇ましく」響くプロパガンダは、先の小泉前総理を彷彿とさせます。小泉政治の「変革」の結果が、私たち庶民の暮らしに新しい「貧困」、教育への「新自由化」等、新たな競争・弱者切り捨て・「格差」を持ち込みました。かつてヒトラーが出てきたときもドイツでは第一次世界大戦の敗北で賠償等で世の中は超インフレとなり、不況・失業等先の見えない希望の持てない社会でした。ある意味で状況が似ている面があります。特に大阪の不況は全国のどの都道府県より深刻であるように思います。先の大阪市長選・府知事選は、今の時代の「徒花」であります。民主主義の危機です。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

― 『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』マルティン・ニーメラー


河北新報
復興元年つながる心/等身大の思想で希望を紡ぐ
 <何となく 今年はよい事あるごとし 元日の朝 晴れて風無し>(石川啄木)
 新しい年が明けた。仮設住宅で暮らす人がいる。ふるさとから遠く離れ、避難生活を余儀なくされている家族がいる。仕事がなければ、将来の見通しも立たない。
 いつもとは違う正月の風景。被災者の窮状に照らせば、啄木の歌の引用は適当ではないのかもしれない。
 だが、こうも思う。私たちの今は先人たちが「よい事」を希求し、積み重ねてきた到達点としてある。ならばそのバトンを受け継ぎ、孫子の世代に託す責務があるのではないか。
 受難を復興のエネルギーに変換するには、なにがしかの希望が要る。肩の力を抜いて「何となく」の期待。確証はないが、それでいい。2012年をそろりそろりと、歩み始める年にしたい。

 現実を受け入れられずにいる人が多い。あまりにも多くの命が失われたのだ。掛け替えのない肉親が、友人が、同僚が3月11日を境にこつぜんと姿を消した。
 新しい年を迎えても、喪失感は癒やされることがないだろう。そっと寄り添う。話を聞いてあげる。私たちができることといえば、それぐらいだ。
 悲しみを共有することから始めよう。死者の無念に思いを致し、残された人たちとつながることを復興の基盤としたい。
 「絆」という言葉を多くの人が口にする。
 震災前、全国に広がった「タイガーマスク現象」を覚えているだろうか。児童養護施設などに、漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」を名乗った匿名の寄付が相次いだ。
 際限のない欲望をエンジンに、金融資本主義が世界を席巻。生き馬の目を抜くような競争の結果、私たちが向き合うことになったのは仮借なき格差社会、無縁社会である。
 日本の共同体が育んできた互助、共助という美風は失われたのか。不安と不信が交錯する中、伊達直人は関係のほころびを繕うべく現れた。
 被災直後、何人もの伊達直人が窮地を救った。避難を手伝い、食料を分け合い、弱者をいたわった。極限状況で、東北の人たちが見せた「利他」の精神と行動は世界中から称賛された。私たちはそのことを誇りにしていい。

 復興へ向けて、せっかく組んだスクラムを台無しにしかねないのが福島第1原発の事故である。政府は年末にそそくさと「収束」を宣言したが、福島県民の誰もが納得していない。
 解体・撤去まで最長40年かかる。汚された大地と「フクシマ」というレッテルに、県民は長く苦しむことになる。
 放射能の恐怖を克服するすべを私たちは持ち合わせていない。そもそも、10万年先まで放射性廃棄物を安定して管理することなど可能なのか。安全神話が崩れた今、原発は白紙から議論し直すべきだ。
 危機を先送りする文化にピリオドを打たねばならない。国と地方の借金を合計した長期債務残高は、12年度末で937兆円に膨らむ見通しだ。
 国内総生産(GDP)比で195%に達し、先進国の中で最悪の水準。負の遺産を将来世代につけ回すという点で、原発同様の構図と言わざるを得ない。

 3.11を経て、価値観が変わりつつある。手掛かりは「等身大の思想」。立脚点を「いま」「ここ」に置いて一歩一歩、前進していくしかあるまい。
 年末、山形県高畠町在住の農民詩人星寛治さん(76)に話を聞いた。わが国の有機農業の先駆者。刻々と変わる自然相手に、何度も挫折と失敗を繰り返してきた。昨年のリンゴの収穫は例年の1割。前年の猛暑が災いしたという。
 星さんはそれでも「楽観も絶望もしない。自然を信じていくしかない」と達観したように語る。自然は恵みをもたらす半面、凶暴な顔も見せる。自然を丸ごと受容することで、可能になる境地がある。それは「また来年がある」という、しなやかな生き方。
 星さんの『願望』という作品の一節を引く。
 <はてしない野道を/ゆっくり、ゆっくり歩こうよ/くたびれたらタイム/そして、また一歩/足跡など消えてもいいよ>
 傷ついた自然と人の、あるいは人と人の関係を時間をかけて修復していく。ことしをそのスタートの年としたい。
2012年01月01日日曜日原子力の平和利用なんてありえないことをこの「震災」でぼくは教えられました。そして、この原発事故は、決して「想定外」でなく人間の手で防げえたことも知りました。「核のゴミ」の処理に約十万年もかかり、地層処分する場所も見つからないことも学び、現在の人間の知恵では「原子力」をコントロールすることが不可能であったことも学びました。また、「原子力業界が安全委24人に寄付 計8500万円」(朝日新聞)というように、原子力産業によって買収されていた(寄付であったそうですが)学者たちが「原子力」の安全を担っていたのでは、間違いなく国民のための目線で安全チェック出来るはずがないのは当然です。
安全委員長らに原子力業界が寄付 310万〜400万円
 原発の設置許可申請などについて、安全審査のダブルチェックとして2次審査を担当する原子力安全委員会の5人の委員のうち、班目春樹委員長と代谷誠治委員が、就任前の3〜4年間に、原子力関連企業や業界団体から310万〜400万円の寄付を受けていたことが2日、分かった。
 安全委の下部組織の専門審査会で、非常勤で審査を担当する複数の委員も、審査対象企業などから寄付を受けていた。いずれも審査の中立性への影響はないとしている。
 班目氏は2010年4月に東京大教授から安全委の委員長になった。同氏によると、09年までの4年間に三菱重工業から計400万円の寄付を受けた。2012/01/02 16:59 【共同通信】

こういう人の犠牲になったのが「フクシマ」の人たちであるように思います。

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